ファセット
 どうして人は泣くのでしょうねぇ、と光秀は言う。深い考えなどはそこになかったのだろう。不思議そうに、しかし答えを求めたわけでもなさそうに、首をかしげる。
 そしてそんな様子を見て、そういえばと政宗は思う。涙を流したことはあるのだろうか。この狂気だけが言動力のような男は。泣くということが想像できない、なにがあっても揺るぐことなく、ただ風に吹かれれば飛んでしまいそうな姿のくせに、これは流されきることもなく涙をながすことさえ知らず、ただそこで微笑むだろうなどとは思うのだが。
「あんたは、泣いたことがあるのか?」
「さて、どうでしたか」 政宗の問いに光秀はやはり首を捻る。その様子に政宗はなぜか安堵を覚えたが、光秀は気づかず続けた。「ああ、ですが信長公が――」
「……魔王のオッサン、が?」
「尾張から出る、と。そう仰って私の名前を呼んでくださったときには、ええ、確かに、泣いてしまいそうだ、と」
ああ懐かしいですね、と微笑む。主君の名を光秀がおだやかな笑みと共に口にすることに、政宗はひどい違和感を感じた。否、違和感というのも少し違った。そこにある感情を思い知らされるようなそれが、あまりおもしろくなく思えたのだ。
「へぇ」思わずそっけなく答えると、光秀はうれしそうに眼を輝かせた。
「おや? ふふふ、あなたも可愛らしいところがおありのようで」
「うるせぇ」
 舌打ちをする政宗のほうへ身を乗り出し、光秀は笑い、どこか躊躇いがちに政宗の左手に自分の右手を重ねた。しかし政宗にはその指先がもどかしく、思わず重ねられた手を押さえつけるように捉え返す。すると光秀は小さく息を吐き、細い目を閉じて、穏やかな調子で約束などをした。
「仕方がありませんねぇ。それではあなたが私以外の誰かに殺されたら、泣いてさしあげましょう。ああ、ですがそれではあなたが私の涙を見ることができませんね。おやおや、困ったものだ」
 嘘をつけ、と政宗は僅かに眉をひそめて困ったふりをする光秀から目をそらした。俺だってあんたが死んだときいたところで、どうせ泣きもしないだろう。そう思うとどう光秀に目を向ければよいものか、とたんにわからなくなってしまったからだ。そして、目頭が熱くなる錯覚に頭を振る。
「いらねぇ約束だな」
 どうにか言葉を絞り出せば、光秀は握られた手をゆっくりと握り返すだけで、まるで政宗の表情など気づかないように、やはり小さく笑って「そうですね」と頷いた。
*facet=宝石のカット面。転じて「多面的」。

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