ただ、拒絶の理由もない
 黒衣の裾が翻るのを目の端で捉えたときには、すでに手が伸ばされていた。ヴィクトルが受けた接触を認識をする頃には、手術台から起き上がったラスプーチンはひどく重量のある身体を苦もなく持ち上げ、自分を見下ろしていたヴィクトルの顎に手を沿えると、何を思ったかまるで恋人じみたキスを見舞ったところだった。
 舌の温度は、ヴィクトルのほうが低いらしかった。無理に唇を割り、ねっとりと絡もうとするラスプーチンの舌はすこし熱く、芯を感じた。ぬるりとした触感からして、唾液もある。一体何で出来ているのだろうな、とヴィクトルは思った。下ろす睫毛は短いものの、髪や眉と同様に、造りものらしさはない。肌にしてもそうで、触れた唇さえも、人体に模したのではなく人体から奪ってきたもののようだった。
 顎を上に持ち上げられ、わざとらしく音をたてられているのも気にはならなかった。息苦しさはあるが、大したことではない。そもそも、まるで人らしい眼前の人工生命体に対して、ヴィクトルにとって学術的な視点以外からの興味というものが沸く事はない。きっかけもないが、そもそも相手は髭を蓄えた男の姿を模している。嫌悪が沸いてもおかしくはないだろうと、まるで他人事のような分析さえできた。
 しかしヴィクトルが静かに熱烈な口付けを受けるのは、ラスプーチンとしては面白くなかったようだった。
「もうちょっと色気のある反応したらドウなの? まるでミーが下手みたいジャナイ!」
「下手なのだろう」
「違ウヨ!」
 唇を離し、少し顔を離して眉を寄せる。拗ねた顔なのだろうが、可愛らしさは感じられない。だいたい、ヴィクトルからすれば責められる理由がわからなかった。
「どんな反応をしろと言うのだ」
「……ヴィクトル、不感症なノ?」
 ふざけた事を言う手が、ヴィクトルの返答も待たずに顎の下を撫で、襟元から首を撫でる。ヴィクトルよりいくらもその指は太く、骨組みをはっきりと感じることができた。爪もある。爪。爪か、ああ何でつくっているのだろうか、とヴィクトルは細部のつくりが気になってならなかった。しかしそうして頭のなかで、あれこれと思考がひっぱりだされるものの、一方で肌を撫で、口を吸われるという行為が再開されくすぐったさのような煩わしさがちらちらと思考を中断する。
 だが、思考を乱すその要素の根源たる男を引き剥がそうと抵抗するそぶりを見せれば、ラスプーチンはむしろ喜んだ。わずかなりとも身体を押し返そうとヴィクトルが試みれば、ラスプーチンは肩を掴む力を改め、より深く口腔を漁られる。貪るような口付けは人間じみた情欲があり、これには感情があるのだなとヴィクトルは改めてそのようなことを思った。
 ちゅ、ちゅ、と仕上げるように唇の端を口づけられ、角度が変われば、顎髭が肌をぞろりと強く撫でる。ヴィクトルはようやく背筋をぞわりとしたものが駆けるのを感じたが、舌を絡ませてやる気にはならなかった。それでも唇が離れれば少しだけ熱の滲んだ吐息が零れ、それにラスプーチンが笑った。
「ミーのテク、味わう気になっタ?」
「ならん」
「素直じゃないネ」
 フン、と鼻を鳴らして、もう一度口づけられる。
 押し付けられる唇が鬱陶しいので、ヴィクトルは今度は自分から口を開いてやりながら、ようやく暑苦しい顔を視界から隠すべく瞼を下ろした。そうして瞼を下ろしながら、ふと、ロシア人は同性であっても挨拶に唇を交わすと思い出した。だがこれがどのような接触であるのかはわからなかった。だいたいこれは人間ではないのだから、そんなものが当てはまるとも限らない。
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ラスプーチンすきだヨー台詞むずかしいヨー

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