思惑しらず
 多聞天の境内にそれが姿を現すような気がしてならず、ざわつく心をどのように保つべきであるのか、ライドウはわからなくなることがある。いつもではないが、ふとした瞬間、その目の前を通り過ぎようとして、思い出す。そうして、見慣れた制服の足が境内に落ちる影から抜けだし、黒い外套の裾を揺らして立ち上がり、こちらへ足を踏み出す姿が見えるのではないかという自分の思考に驚くのだ。
 事実としてそんなことはあれ以降一度もないのだが、ライドウは思い出す度、その存在を待つように顔を上げ、しばしばその足を止めてしまう。
 ゴウトもそれは気付いているようだったが、なにも言わなかった。ただ、なぜか今日ばかりは足元から、声があがった。
 「どうかしたか」
 声に考えもなく視線を向け、なにもかも見透かしてくれそうな翠の瞳に、ライドウは罪悪感を覚えた。だが、なによりもその目付役の視線が、自分への心配に満ちていることに、安堵も覚えた。気まぐれだろう、と思いながらも、しかし事実として気にかけられた喜びがあった。
「いや――なんでもない」
 ライドウは答えながら、自分の頬がわずかばかりゆるむのを感じた。ゆるんだ、とはいえゴウトでさえわかるかどうかわからぬ程度であるのはわかったが、それでも、そっとかがみこんで片腕で黒猫をかかえあげながらも、そのまま唇へ笑みが残るよう意識する。そしてその傍でずるいと非難の声をあげるジャックフロストの頭を、残った片手で一瞬ばかり撫で、ゴウトにその涼感が伝わることがないように、その手で外套の裾を払った。
 ゴウトはまるで当然のように唇の笑みに気づき、ライドウの機嫌がはずんでいることを不思議がっているようだった。ライドウは満足めいたものを覚えて、その小さなけむくじゃらの身体を腕の中にぎゅうと閉じ込めてやった。どこへも行けないように。二度と手をすり抜けてしまうことがないように。力を入れてしまえば喪われてしまいそうなぐらいの相手を、そっと抱く。
「ゴウト――餡蜜を食べにいこう」
 甘えるように、声を落としてライドウは言った。黙って抱え上げられ、不思議そうに顔をあげていたゴウトが興味深そうに瞬く。それから猫ならではのしなやかさでわずかに身体をよじり、足元のジャックフロストを見た。
「仲間は管へもどしておけよ。黒蜜まみれになる」
「――ゴウトがそういうのならば」
 ライドウは忘れていたが、言われればたしかに、そんなこともあった。黒蜜をとろうとして、頭から被って帰ってきた仲魔が。その後始末は多少手間であったので、大人しく忠告を効く事にして管を取り出した。
 呪を唱えると、足元で外套の裾を引いてジャックフロストが抵抗した。
「ライドウばっかりずるいホ〜! ずるいホ〜!」
「あとで分けてやる――」
ライドウは中断せず、囁いてやるだけで済ませた。仲魔の文句は続いていたが、瞬く間に露のようにその正体が管へ吸い込まれてゆく。
「――――大人しくしていたら」
 付け加えたところで管の中からもまだ非難が聞こえたが、くすりと笑うだけで、ライドウは無視をした。
「あとが煩いぞ」
「逢引のほうが大事だ」
 言えば、ふらりふらりと揺れていたゴウトの尾がぴたりと止まった。それがおかしくて、ライドウはそっと指で輪をつくるように尾を掴んでやった。
「どうかしたか?」
 そっと、毛並みを撫でるようにしゅるりと。
 ゴウトは顔を背けた。だが、長い髭や耳がぴくぴくと動いて、その動揺を表している。これは今、自分にふりまわされているのだ――そうわかるとたまらない気持ちになって、ライドウはとうとう、小さくはあったが笑い声をあげた。
「ゴウトとの逢引など、次にいつあるかわからない」
 続けながら、歩くのを再開する。目的地は直ぐそばだ。業魔殿に涼を求めに行くより、こちらのほうがゴウトにしても気にいる涼み方なので、文句が返らないことはわかっていた。
「小さな皿を出してもらおう。そこにあなたが好きなアイスクリンを盛ればいい」
 言い切って小さな身体をもう一度抱きなおすと、ようやく振り返る翠目の視線を隠すように、めくっていた外套を猫ごと腕へかぶせる。暴れる気配があったが、ライドウは取りあうことなくそのまま釘善の暖簾をくぐった。
*いちおう言っておくと、ゴウトさんのわかりづらいデレの話でした…

<<return.

*Using fanfictions on other websites without permission is strictly prohibited * click here/ OFP