炎昼
 蝉の鳴き声がうるさかった。しかし夏もじきに終わりなのか、とライドウはこめかみから顎を伝い落ちた汗を手の甲で拭い、ぼんやりと考える。シャツは汗で濡れ、背中などはすっかり貼りついている。洗ってしまいたいな、と考えながら石段を登る。通いなれているはずであるのに、ひどく足取りが重い。それは抱えた大玉の西瓜のせいだけではないだろう。会ってしまえはどうということはないのだが、会うとわかっているとどうにも心が重くなる相手であるからだろう。
 ずしりと重みのあるそれが、足下を行くゴウトにぶつかることのないように気遣いながら、また一段と石段をのぼる。
 黒い毛皮に身を包んだゴウトはみるからに暑そうだが、ライドウよりも軽やかに石段を登って行く。
『おい、もうばてたのか?』
「――そうじゃない――ゴウトは暑くないのか」
『暑いに決まっているだろうが』
「それにしては――元気だ」
『夏は暑いものだ』
「わかっている――」
 ようやく石段を登り終え、雑草を抜いた道を踏みしめながら、雷堂に声をかける。
 御堂の縁側に座っていた雷堂は肩に羽織っていたはずの学生服を脱いでいた。
 将棋台をはさんだその奥で、黒猫が尾をゆらしながら、にゃあと鳴く。雷堂は膝をたてた片足に重心をよせるようにしながら盤面を睨んでいるところだった。だが「雷堂」と呼びかければ、すぐに振り向いた。
「む。遅かったな」
「風間さんにつかまった」
「なるほど。風間さんはどこの世界でも長話が好きか」
 縁側から立ちあがり、日光の元へ出てくる雷堂は既にズボンの裾まで折りあげており、白い足が涼しげに見えた。
『雷堂、詰みか?』
「むむ」
 業斗の声に盤面に視線を戻したものの、雷堂は苦い顔をして「ない」と呟いた。
『では俺の勝ちだな』
 業斗童子が笑う。『おまえの手のうちはわかりやすい』
「またか」
『はやくおまえも俺の手の内を読むがいい』
人間であったならカカカとでも笑ったのだろう。喜ばしげに鳴き声をあげる業斗に、雷堂がため息をつきながら縁側へ戻り、盤上の駒を拾いはじめる。
「また後で一局……早くしなければ十四代目に西瓜を食われてしまうな」
「そこまで食い意地ははっていない――ジャックフロスト」
 ライドウは管を抜き出し、仲魔を呼び出した。
 マグネタイトを散らせて顕現する氷の悪魔はかけ声とともに飛び出したが、すぐにライドウから離れ、雷堂のほうへと駆け寄った。愛らしい足音が離れていくのをライドウは驚きとともに見つめ、雷堂のほうは駆けてきた悪魔が自分にしがみつくのに驚いたようだったが、くすりと笑うだけだった。
「どうした」
「あついホー! ライドウ暑いホ! 溶けるホー!」
 フロストはしがみついてようやく、それが自分の主ではないことに気づいたようだった。大きな頭を不思議そうに傾ける。
「傷があるホ? ライドウどうしたホ?」
「どうもしない、が、おまえの主人ならあちらだ」
 雷堂はそっと丸い頭をなでながら、もう片手でライドウを示した。
「ホ?!」
「すまないな、雷堂――」
「かまわないさ」
 雷堂はくすりと笑ってフロストのつめたい背を押してやった。ライドウは自分のもとへ戻ってくるフロストに微笑んだ。
「フロスト、あまり強くなくていいから周囲を冷やしてくれ」
「まかせるホー!」
 与えられた仕事に、フロストは間違いも忘れて飛び跳ねた。たちまち冷気が周囲を包む。
「頼もしいな」
 雷堂の言葉にうれしそうに声をあげ、とうとうジャックフロストがライドウに飛びついた。
「ヒホッ! ライドウ、もうひとりのライドウにほめられたホ!」
「ああ、よかったな」
 しかしライドウは腕の中に飛び込んで来たフロストを抱えると、頭を一撫でしたものの、すぐに管へと封じてしまった。
「もう帰還させるのか」
「これを割ったらまた呼ぶ」
「では我のヨシツネにでも割らそうか」
「おや、封魔したのか」
「先日な――貴様とて既に封じただろうよ」
「ふふ、あとでデビルカルテをみるか?」
「やめておく」
 雷堂は唇の端で笑んで、外套の上へ置いた管を拾い上げた。その呪を呟く様子を、ライドウは鏡を観るように見つめた。
 熱気の名残に首へ伝い落ちた汗を手の甲で拭いながら、影法師の召還をみるなど、まるで暑さの見せる幻のような光景だな、と思った。気の重さは晴れているが、居心地の悪さは拭えない。
*ごめんヨシツネごめんまたの機会に……。

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