暗闇に溶ける
 ライドウが黙って刀を抜くと、その瞬間ばかり、音が失われた。
 けれど、すぐにざわめきが生まれる。ひそひそと囁く声には姿がない。
「人か」
「違うな」
「鬼か」
「いいや狐じゃ」
「狐か」
「そうか」
「そうか」
「喰うか」
「喰おう」
「うまそうじゃ」
「喰いたい」
「喰ってやろう」
 囁く声がいくつも重なっていく。ざわめきが大きくなり、比例するように空気が重くなった。釘を刺すように、雷柱が続いて落ちる。
 雷柱よりも素早く、ライドウは胸元から管を抜き、呪を唱えた。封が解かれてマグネタイトの燐光が溢れ、暗闇にその黒衣のふちを浮かばせる。
 ゴウトが鳴いた。
『気をつけろ! 一斉に来るぞ』
「──アタックを」
 命令に、顕現しながらも獣たちが応える。吠声と共に飛び出したのは、白く柔らかな毛並みと、続いて二つ頭で吠える獣の二匹だ。
「ほう、オルトロスとケルベロスか」
 関心したようにつぶやく声が背後に聞こえた。
 それまで暗闇であった場所に、人の気配が突然訴えかけてくる。だがライドウは振り向かなかった。背を向けたまま、続々と現れる小鬼どもに噛み付いては連撃で蹴散らしていく仲魔の隣へ駆け出す。
 その間にも、新たな雷柱がいくつも落ちる。けたたましい笑い声とともに、這い出るように骨の腕が生え、巨大なドクロも顕現を始める。オルトロスが唸り声と共に唱えていた魔法の狙いをそちらへ向け直し、笑い声をかき消すように炎が暗闇を空気ごと飲み込み、照らした。だが、それだけで倒れる相手ではない。業火に嘗められ、ガシャドクロたちが悲鳴をあげながらも攻撃をしかけてくる。それを避けながら、ライドウは刀を抜いた。刀身が、炎を受けて瞬きをするように輝いた。
「ケルベロス、紅蓮真剣を」
 たちまち、刀身が燃え盛るように熱を帯びていく。光の筋を描くように、その軌跡へ残像がかすかに残る。ガシャドクロの骨へ、まるで豆腐でも切るように刀が滑り込む。魔を断つ刀と、炎の加護によって、その進行が防がれることはない。腕を切り、下からさらうように巨大な頭蓋を断ち切ってやる。流れるように、一体、二体と続けて命を奪っていく。足下をすくおうとでもするような鬼どもは、二頭の獣がそろって散らしていく。
 それからは大して時間もかからなかった。最後まで抵抗を続けた一体の骨もやはり砕き、その場を制圧しきる。とたんに周囲がふたたび静まり返った。
 そこへ、ぱちぱちと気のない拍手が響く。
 ようやくライドウが振り返ると、目付役がその肩から緑の瞳でヴィクトルを睨んだ。
『見物とはいい身分だな』
「そうかね。戦闘は我が輩の領分ではないのでな」
 彼は悪びれた様子もなく、いつもの血色が悪い顔へ、わずかに楽しげな色を浮かべてそこに立っていた。
 ライドウの小さな帰還命令に、遠吠えが響く。刀を納める間にも、ゴウトは言った。
『この一件、貴様の差し金ではないだろうな?』
 ヴィクトルはいつかのように、やはり見慣れた白衣ではなかった。手袋が白く、黒い別珍のコートという、いつもとは逆の色味だ。ふと、この人は寒さを感じるのだろうかと疑問があったが、肩へ飛び乗ったゴウトが不機嫌そうにするので、黙って様子をうかがう。
「さすがは当代葛葉──今宵はよいものが観れた。やはりたまの散歩は良いことが起きる」
『これが目的だったのではないのか?』
「さて。何の話か」
 ゴウトがいぶかしげに鳴くと、ヴィクトルは唇の端へ人の悪い笑みをのせた。だが、黒猫の背をなでるようにして視線を流し、ライドウのほうを瞬きの間ほど見つめると、何事もなかったかのように「ではまた業魔殿でな」と背を向けた。ライドウの返答など、すこしも聞き入れるつもりはないらしかった。
 とても闇に溶けそうには見えないのに、そうするとすぐにその姿は暗闇に紛れて、すっかり見えなくなってしまった。  
*百鬼夜行。「凍て星を隠す」と似てるけど、繋がってるわけではないです。

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