秘密の逢瀬
バス停とはいえ、停留所の看板がなければ、ただのすこしばかり開けた場所だ。日に二本きりのバスを待つべく標識を目指せば、標識さえなければただの空き地だと思うような場所で不安さえ覚えた。
それほど人目も、人気も少ない場所である。
街とは違い、ここではおろしたての背広はひどく人目を引く。だが、こんな村で人目をひいたところでなににもならない。用事も終えた今、気にしているほうがあやしいだろう。そう思って、着替えることはしなかった。先ほどまで着ていた、流行とは無縁の野良着などは既にトランクのなかだ。
ただ、そこには先客がいた。バスを待っているとは思えなかった。
妙な樽へ腰掛けた男だ。煙管をくゆらせる白い着流しの裾には、黒一色で鍵爪の文様が入っている。おまけに帯のかわりに腰へまかれているのはガンベルト。村の者ではないだろう。もしそうだとしても、すこしばかり信用に足らない人物か。なにしろ、延ばし放題のはねた髪も、着崩した格好も、粋というにはすこし乱雑すぎた。それに、腕や脚にまでまかれた曝布も気になった。何かが差し込まれている。妙な風体だ。
「バスをお待ちで?」
ためらいはあったが、男をほんのすこしばかり検分したことを隠しながら尋ねてみた。
「そうじゃねぇ」
男はじろりと視線をよこした。
視線は気になったが、その答えになぜだか安堵を覚え、男の前、停留所の看板の前へ進む。背にした男は頭がおかしいのではないか、と思ったが、ざんばらの前髪からのぞいた瞳は理性的にも見えた。かかわり合いになると面倒だろう、と無視をする。
そろそろバスの到着時刻のはずだが、しばらくたっても、気配さえない。これを逃すとまた一泊が必要となってしまうのだが。
落ち着きを探すように、すこしついてしまった背広の皺をのばすように生地をひっぱってみたりなどしたが、まだ、視線がある。
何か男の気にさわることでもあっただろうかと考えていると、男がそれを読みとったように背後で呟いた。
「おめーを待ってた」
振り返ると、男と目が合った。ぎらついた瞳が、先ほどとは違い、明確に色を持っていた。
だが、それよりも大事なのは、いつの間にか抜かれた直刀が、振り返った首筋を撫でたことだ。
「仕事でな」
男は言った。
「烏が地獄へよろしく、ってよ」
意味を理解し、ろくな悲鳴さえあげることさえ許されなかった。傷口からあふれる血を感じたときには、もう首が、落ちる頃だった。
男は倒れいく体をつかむと、血糊を死人の背広でふいた。真新しさのある紺の布地には既に吹き出した血がしみこんでいたので、たいして血が拭えたわけではなかったが、気にした様子はなかった。それどころか、片袖をふり、その袖の内側から放たれた火で、二つに分かれた遺体を火柱に飲ませた。
一瞬にして骨まで焼かれ、灰ばかりがその場に残った。
そうして男の行方を知る者はいなくなった。