不死
船旅は億劫なことだった。乗れば目的地までどこへも行けぬところが好かぬ。それに、さざ波が子守歌のようだと言うものもいるが、揺かごのような船に眠気を誘われることはなく、その揺れが煩わしい。それにそもそも波音は神経をちくちくと苛むばかりのもので、安らぎなど感じもしない。瞬いて終わりのような眠りは隈をつくり、もともと薄い肉を奪っていく。
三成は刀を見つめる。鞘に納めてこそいるが、刀が鳴いているように思う。急かされるのと同じだ。だが何故急がねばならぬのか、三成はわからない。ただ、首がほしいとわかる。首をとりたい。だが、もはやそれは誰かの首ではない。
家康の首は腐る前に焼いた。灰が残ることさえ許せず、骨も砕いた。その執拗さに周囲の者が畏怖する目も覚えている。
だが、そうして抹消するほどに、不安が濃くなった。
家康の死は確実であるのに、その首を落としたときのことは、もはや現実とも思われない。今もその首を刀が探しているように思えた。
もういない。家康を乗り越えたはずだ。殺した。勝った。それでも空虚なのが憎らしい。
家康は命乞いをしなかった。
殺される訳にはいかぬと言った口は、こんなことを言っておわりであった。
「なぁ、三成よ。おれはおまえの理由になったか?」
答えをくれてやることはなかった。意味がわらかぬとさえ思った。しかし今、眠りを求めるように船にゆられながら思い出し、考える。
お前が居ずともこの私は生きている。
食い気は失せた、眠気も失せた。しかしそれでも生きている。人の腹を割く、人の肉を斬る。歯向かう馬鹿どもを殲滅して歩く。そこに満ちる静かな喜びは変わらない。
だが確かにその瞬間、その首を落とすその刹那よりも満ちたのは、惜しいことにあとにも先にもない。
お前はたしかにあの頃、私の理由であった。死のための。