もっと早く教えてよ
 人間じゃない、悪魔だよ。誰にでもそう言われる。もう人間じゃない、お前みたいな悪魔は見た事がない、と。そう言って敵意ばかりが向けられる日々。
 その敵意の末、これか。鉱は呆れながら思った。疲れた、といよいよ感じる。肉体の傷からも意識が遠のいて、もういいかとさえ思う。

 けれど手放せない。

 ふいに、意識が鮮明になる。
 身体の紋章が赤から青へと変わってゆくのが、目を開いて確認しなくてもわかった。
 傷が癒えるのは奇妙な感覚だった。一度遠のいた痛みが蘇り、すぐに和らぎ、痛みの代わりに徐々に身体へ何かが満ちていく。溢れるほどのなにかが瞼を押し開くような感覚は心地よいが慣れなかった。
 満ちてくるものこそ生命力だろうと思うが、まるで死に至る過程そっくりの安らぎは意識が冴えるほどに恐ろしくもある。
「コウはすぐわかって便利だね」
ピクシーはそんなことを言って笑った。悪魔になってから、鉱の肌にうかびあがった奇妙な文様。それは呼吸するように自然に、しかし生物としては不自然にうっすらと光り輝き続けている。淡い青色は彼の命のバロメーターのようで、肉体の活動が危機に陥れば色を赤く変えて警告してくるからだ。そんな悪魔は見た事がない、とピクシーは言う。他の仲魔も、マネカタ達も、出会う他の悪魔たちも皆そんなことを言う。
「そうかな」
「うん。でも好きよ。綺麗だもの」
「ありがと」
傷を癒してくれた礼と、その言葉に重ねて感謝をのべ、微笑んだ。そしてふと、日の差し込む方向が記憶とずいぶん変わっていることに気づいた。
「もしかして俺、けっこう寝てた?」
「寝る? 気絶はけっこう長かったかな」
自分の記憶を探るが、日の入りをみたのか、夕暮れをみたのか記憶が定まらない。
あれ?と思案する肩先にちょこんと座り込み、ピクシーは首を傾げて仲魔に尋ねる。宙を泳ぐ、巨大なエイのような姿をしたイソラは思案を巡らせるかのようにぐるりと回転する。答えが出ないようで、もう一回転。さらに足りぬと言うように獣のうなり声をあげる。だが、どうだったか思い出せないらしい事はたしかだ。もしかすると、興味がないからわからないのかもしれなかった――別に時間は気にするような事じゃない。自分で疑問に思いながらも、ふとそれを思い出した。
 悪魔になってから時間の概念が薄れた、と思い当たることで。
「そういえば、時計いらずの生活だもんなァ」
「トケイ? トケイってなに、コウ」
「えっ ほら、病院にもあっただろ。壁とかにこう、丸くて、数字が1から12まで書いてあって」
 ジェスチャーで円を描き、数字ごとに指を置くようにして示す。見た事ならある、とピクシーにも伝わったようだ。
「時々建物の中にあるやつね」
「そういえば受胎してから、動いてなさそうだったな」
針が一定規則で動いて、時間を伝える道具なのだと教えれば、ピクシーは不思議そうだった。「どうして時間が必要なの?」
「うーん、なんでって言われると……そうだな、時間ごとに、やることがある程度決まった生活……そういう風に暮らしてる人が多い、から、かな」
 改めて尋ねられるとよくわからなかった。ただ、学生だった鉱としてはタイムスケジュールの決まった時間割のことを考えずにはいられなかった。学校に行くために起きて、支度をして、時間に間に合うように家を出て――。
「なんであんなに決まってるんだろうな」
 寝て、起きて、また眠る。その繰り返しを続けていたのが今となってはそれこそ妄想だったかのように思えた。

 人修羅と妙な呼び名をつけられてからしばらくたつが、本人としては、悪魔になった自覚はあまりない。マガタマが身体の中で暴れた痛みと、その後の肉体の変化は言うまでもないことだが、めまぐるしく変わった世界のなか、とにかく生き残らねばという頭ばかり働いていた。人格も変わったかもしれない、と死にかけてようやく思うほど、それは違和感のない変化であった。そのくせ、もうその頃の感覚を忘れ始めている。

 不思議だな、と他人事のように言えばピクシーは呆れ顔だった。
「なぁにそれ。ヘンなの。コウが人間だったときはわかったのかな」
「かもね。でもまぁもう悪魔になっちゃったし」
戻れないし、後悔もないからなーと。急速に疑問への熱が冷めるのを感じながら呟けば、何が嬉しいのかピクシーは可愛らしい笑い声をあげた。
「そうよ、コウは悪魔だもの! あたしと同じように人間じゃないんだから」
 お前は悪魔だと言う他の誰とも違って、それは敵意のない肯定だった。嬉しくなって、頷く。そのまま口元が緩んで「もっと早く教えてよ」なんて、馬鹿みたいな言葉がこぼれた。

 
*鉱(コウ)というのはうちの人修羅の名前です。

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