爪切り女房
 しゅるしゅるとやすりを滑らせる音だけが室内にはあった。幸村は自分の指を持ち、やすりで爪先だけを撫でる佐助の指先に見惚れていた。
「器用なものだな」
「そりゃ、あんたに比べりゃ誰でも器用でしょうよ。はい、左手出して」
「うむ」
 研ぎ終わった右手を濡れた手ぬぐいで丁寧に拭った佐助に促されるまま左手を出しながら、幸村は開放された右の爪を眺める。綺麗に整えられた爪にやはり驚き「器用だ」と繰り返せば佐助は大げさすぎると文句を言うが、少なくとも幸村はここ数年自分の爪がこのように整えられているのを見た覚えがなかった。さすがに先日欠けてしまった爪などはどうしようもないが、佐助と同じように整えられている爪が自分の指先に鎮座しているのはこそばゆいような、奇妙な錯覚を幸村にもたらした。
 佐助の爪は記憶のかぎりずっと、綺麗な形をしている。とはいえ忍びであるから指先に怪我をしないわけでもなく、生爪が剥がれた状態の佐助の爪も幸村は見た事がある、しかし綺麗な形をしているのが常であった。忍び仕事がやりやすいからだ、といつだか答えた佐助の言葉を覚えている。しかし忍び仕事だなどと言う言葉と対称的に、女であってもそれほど整えているのは稀ではないかと不思議に思ったほどで、まるで誰も傷つけることのできぬようゆるやかに丸められた爪だ。その理由は冗談であったかもしれない。
「佐助」
「なぁに、旦那」
「……またこのように削ってはくれぬか」
 思いつきのまま言えば、佐助は面食らった顏をして「あんたいくつなの」とため息をついた。終わったよ、という言葉とともにぺちんと音をたてて、手ぬぐいで指先を拭った幸村の左手を叩く。
「む。嫌か」
嫌ですよ小姓じゃあるまいし、と取りつくしまも無く佐助はてきぱきとやすりと手ぬぐいを盆に乗せて立ち上がった。
「佐助、」幸村は縋るように名前を呼んでみたが、佐助はにべもなく襖を開ける。
「道具あげるから、次からは自分でやんなさいね」
 取り残された幸村は仕方なしにごろりと畳の上に寝転がり、忍びと同じ形となった己の爪をただただ眺めた。二双の槍をふるう幸村の手の中にあっても鋭利さを取り除かれた爪は誰も傷つけることなどできないもののように見え、それがやはり何ともなしにこそばゆかった。
*戦国時代ってどうやって爪切ってたのかな、と思ったのですがわからず。鋏か、と思ったけれど佐助に爪やすりを使って欲しいという妙な願望に負けました。
……まぁ、何かあれば魔法カード「ばさらですから!」を発動ということでここはひとつ。

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