狐狸
 月見というわけでもないが、なにげなしに開けていた襖の外を見やれば、塀の上に並ぶ瓦屋根にいつの間にやら妙な影が混じっていた。奇襲、と頭によぎってもおかしくはないのだが、敵意めいたものは欠片も感じられず、ほんの一瞬ばかり無視を決め込もうかと逡巡する。
 だが結局は一つきりの目を鋭くして、側に置いていた刀の一本を政宗は手にとると、影に呼びかけた。
「おい、そこの。一対一と、多勢に無勢――どっちが好みだ?」
 すると慌てて姿隠すでもなく、胡座をかいた人影は顏をあげ、広げていた巻物をしゅるりと早業で懐へと仕舞ってからようやく、わざとらしい態度でぺちりと己の額を叩いた。とはいえその顏は狐面などに隠れて、口元以外は表情などすこしも読めそうになかった。
「あいや。見つかりもうしたか――さすがは独眼竜殿。御慧眼、まこと恐れ入る」と、老人のような、けれどひょうきんな声音が言う。韻を踏むような、調子に富んで耳に心地よいと思える口調だった。しかし政宗はおや、と思った。声どころか、背格好や、赤い隈取りが怪しい狐の面などのすべてに見覚えがないが、しかし一つだけ、燃えるような赤髪には見覚えがあった。
 髪ぐらいは、一流の忍びには造作のないことには違いない。しかしどうだろう。それには悪意のような、作為のようなものを感じてならなかった。失った眼の代わりにかするどくなった第六感がそのように訴えるので、確信をもって、尋ねた。
「なにしてんだ、武田の忍び」
 忍び、と呼ぶと、それが佐助と呼ばれていた記憶が蘇った。政宗がこのように忍び風情の名前を覚えるにいたったのは、まずこれが好敵手の影として存在するものであるからで、好敵手が師と仰ぐ男の名を呼ぶのと同等か、もしくはそれ以上にやかましく名前を呼ぶからであった。そしてやけにふざけた忍びで、忍びらしい分別的な態度を知らぬところも、記憶している理由であるかもしれない。
 深い藍色の忍び装束はしばし思案するように首を傾けた。
「――さて、どなたのことやら」
「しらばっくれんじゃねぇ。その頭じゃ、意味ねぇだろ。なにunfinishedなことしてやがる」
 眉間におもいきり深い皺を刻むと、忍びは困ったように傾け直した首を二三度振り、息を吐くようにしてへにゃりと笑った。
「あは。やっぱり意味ないと思う? ほんとたいした御慧眼ですこと。んん、まぁ、実際大した意味はないんだけどさ」と口元を緩ませ、狐の面を外す。するとその下から、当然のように見覚えのある顔が出てきた。
「あ、言っても無駄かもだけど、あんま警戒しないでね。ただの定期調査ついでにここはお邪魔しただけたし――あんたとどうこうってのは旦那に悪いもんでね」
「そのおかしな面で警戒すんなってか? うさんくせえな」
 政宗は思わず口笛を吹いてからかったが、差し向けたままだった刀は降ろした。
「疑り深いなぁ、もう。いいことだけど――まったく、そういうとこはうちの旦那にも見習わせたいよ」
 立ち去るべく立ち上がった佐助は猫のように楽しげに唇を歪め、笑った。いつの間にやら、背格好まで見覚えのある姿に戻っている。
「ま、今日のところは狐につままれたとでも思ってちょうだいよ、竜の旦那」
と言って、狐の鳴きまねがその口から滑り落ちた。まるで本物が鳴いたようだったので政宗が嘲りを孕んで微笑すれば、「なんてね」と付け加えながら佐助はまた面を付け直した。途端にその周囲に暗い霞のような闇が生まれる。
 瞬く間に闇に紛れたその姿に、政宗は頭を掻いた。
「――Okey,仕方ねぇ。そのおかしな狐面に免じて、ひとつ貸しにしといてやる」
すると呟きに応えるようにまた一声、笑うように狐が鳴いて、けれどもそれきりだった。

*天狐関連妄想だったのですが変な方向で舞い上がりすぎてどこへやら。
 入れたかったこと「狐面」、「猫みたいな口元(出典:公式の天狐仮面画像)」、「狐の声で鳴く」

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