狐疑逡巡
 わかりきったことであるのに佐助は今日も決断ができなかった。
 まずいぞ、と思いながらもぬるま湯のような心地よさが癖になり、どうにも抜け出せないのである。眠りについた主の頭を撫でながら、佐助は今日もひとり、障子紙の向こうから差し込む月光を背に浴びながら、薄暗い暗闇の中でさらに色濃く落ちる己の影をみながら、考える。
 佐助の影には今日も変わらず本性が映っている。それを見ながら佐助はやはり、はぁとため息をつかざるをえない。決断しなければならなかった。なにしろ影には瞳に映る佐助にはないものがある。尾が九つ、あった。獣の太い尾だ。そう、狐の尾である。
 佐助が真田の屋敷に奉公するようになって、かれこれ七年になる。七年たてば人間は様変わりするもので、佐助が屋敷に来たときは真田家の小さな弁丸であったのに、あれよあれよという間にすくすくと育って真田源二郎幸村と名を改めた主人は、御歳十四歳である。これの人生の半分を過ごしてしまったのか、と思うと佐助にも感慨深いものがあり、懐いてくる主人が愛くるしくてたまらない所がある。しかし七年だ。決して長い時間ではない。だが、七年だ。
 佐助がこの屋敷に遣えるようになったのはいくつか理由があるのだが、一つは己の尾の数が少なかったからである。今でこそ九本の立派な尻尾が生えているが、九本目の尻尾は半年前にようやく成ったものだ。そもそも佐助がこの屋敷に来たころ、まだ尾は三本であった。ようやく人に化けて、襤褸の出ない程度の能力しかない狐だ。それでも生まれ落ちて三桁にも満たない佐助に三本も尾が揃ったことを里の狐たちは稀代であると言ったものだが、佐助はそれだけではつまらなかった。なにしろ若いので、好奇心があったこともある。であるから人の世に混じり、魂を削るようにしてより速く能力を磨くことにしたのである。つまり、九本の尾を揃えることが佐助の一番の感心であり、目的であった。だから七年、待った。屋敷に遣えて一年後に一本、その翌年に一本と順調に割け、増えて行く尾に「では七年」と決めたのは佐助自身であった。最後の九本目はずいぶんと渋っていたが、それでもとうとう揃った。しかし同時に、とうとう七年が経ったということの重さを、佐助はようやく自覚したのだ。
 そう、人あらざる佐助にとっては七年などという最月は取るに足らぬ歳月である。しかし七年も人の世に紛れていたのだ。獣であったことの矜持がそのままであっても、佐助が人のことを理解するには十分すぎるほどの長さであった。なにしろ主人がすっかり育ってしまったこともある。それに、なによりもただ紛れていたわけではなかったことも禍していた。
 暇をくれと頼み、そのまま姿を消すことは難しいことではない。だがそれはあくまで、可能であるというだけのことである。
 明日こそは、明日こそは、と思いながら決心が鈍っていくのが佐助自身わかっていた。しかしどうにか実際に口に出そうかとすれば、頭をよぎるのは暇を乞う文句などではなく、己の主の笑顔ばかりで話にならないのが事実である。
 つまりは、離れ難いのである。
 主の掛け布団を首もとまであげてやり、佐助はもう一度ため息をつきながらそれでもようやく立ち上がった。
「明日こそ言い出さないとねぇ」と小さく呟きながら、障子を開ける。月光が強くなり、主人に佐助の影が色濃く落ちた。九尾の狐は首だけで振り返り、後ろ髪を引かれるという言葉が言い得て妙であるということを考えながら、しかし首を傾け直して障子を閉めた。

*まぁこれもひとつの、天狐関連妄想というやつで…。

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