寒さを知らぬと言うくせに
 波が砂を撫でる音は離れた後もしばらく耳に残ることだろう。凍りついてもおかしくない水温だろうというのに気にしたようすもなくその浜辺を歩く光秀の草履は、一歩一歩踏み出すごとにじゃり、と水を吸った砂の重たげな音をたてた。光秀は足元を見ながらゆっくりと砂浜を歩いて行く。歩く度に足元に波がよせ、その足跡を濁し、それどころか草履ごとその足も濡らしているというのに元気なことだ。
 浜辺に足を踏み入れることもない政宗の存在などすでに忘れたらしい光秀は、袷の下に着た徳利首の長い襟を引き上げることで顎もとまでを布地で覆い、さらにやわらかな綿をつめた綿入れを羽織っていて、珍しくも露出している肌といえば顏と手だけだ。さすがの光秀でも今朝は寒いと言い出したからである。雪がちらつきそうな寒空をいつものような薄着で歩かれることを思うとただただぞっとするばかりであるから有り難く、また、政宗にとっては見慣れぬその格好がおもしろくもあった。
 光秀とは違い、口元まですっかり伸ばした襟の下で息を吐くと、布地から漏れた湿った息がほわりと白く色づく。「uh....凍傷起こすぜ」と顏をしかめながら呟いて、それでも政宗は綿入れのなかに手を潜らせたまま、客人が飽きるのを辛抱強く待った。
 客人はふいに顏をあげ、視界に入った政宗をまるではじめてみるもののような目をしてからにんまり笑った。そして砂浜からやっとあがると、湿った草履でやや濡れた足音をたてながら政宗の腕をとった。
布越しに伝わるひやりとした光秀の指先に政宗はぎょっとしたが、光秀はすこしも構わず、政宗の口元を覆う襟を勝手にひきさげる。
「ふふ。たのしかったですよ、とても――ね」と、ひやりとした空気と凍ったように冷たい光秀の指先が頬を撫でた。政宗は今度こそ反射的に肩をすくめた。
「ッ――アンタな……手でこれかよ。足は平気なのかい」
「足?」
「……知らねぇぞ」
身震いしながら目線を下げられたというのに、光秀はわからないといった顏をした。だがそれもそれも長くは続かず、ふと空を見上げるとなにやら楽しげに笑い、くるりくるりと政宗を巻き込んでその場で廻り出した。
「雪でも降りそうですよ」「こんだけ冷えりゃな。あんたが帰る前に降り出したらOUTだな」「あうと?」「おしまいって事だ」「ああ、それもまた一興、です」
おしまい、と鸚鵡返しに繰り返した光秀はくすくすと笑い出して、足がもつれそうになった政宗が眉をよせるのに気づいたように足を止めた。そして唇を重ねた。当然ながら光秀の薄い唇は冷えていて、熱どころか人間らしいところなどひとつもないような錯覚があった。だが政宗が触れられただけではつまらぬとばかりに啄み返せば、おどろいたらしくその身体が跳ねる。
「おや」
「つめてぇよ」
「ふふ。あなたは、あたたかい……ああ、血が通っているのですねぇ」
「噛みついてくれんなよ」
「おやおや、それは残念だ」
 小さく笑い、愉悦の色を隠そうともしない目を薄く薄く細めた光秀は軽い足取りで政宗からわずかばかり距離を置き、最後とばかりに海に顏を向けた。
「美しい海だ」
「そうか? 暗いばかりじゃねぇか」わからねぇなと政宗が顏をしかめて海を一瞥すれば、光秀は機嫌を崩すこともなく楽しげに、しかし大した興味もなさそうに答える。「空が曇っていますからね」
 そして自分でとった距離をひょいと足を伸ばすことで詰め直すと、頭一つ違う黒髪のなかに青白い鼻先を潜り込ませるようにして「ああ、貴方は体温が高い」と嬉しそうに耳打ちした。

*海岸、雪。くるくるまわる。仙台は海が近かった気がする…とかいうところからはじめているのですが海が近いにしてもこの状況はどうだろう…。

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