月灯りに透ける
 兜を脱ぐと案外に顔だちが幼く見える夫の寝顔は、月の光で優しく照らされてまばゆく見えた。お市は自分を姫様と呼ぶ皆が蠱惑的であると褒める己の容姿が美しいものであるということは理解しているが、しかし鏡をいくら覗き込んでみてもこの人の煌々としていた輝きのほうがよほど美しく、蠱惑的であると思う。膝を貸せ、といいだして眠りに落ちた夫の頭を膝の上に抱えたお市は時折庭と空の月に目を向けてもいるが、もうずいぶん長く長政の顔を眺めている。幾度眺めてもその輝きは霞むことがない。だからこの輝きはきっと魂の色なのだろうとお市は思う。自分のものとは正反対だ、と。だから決して飽きることなく眺めることができる。いつまででも観ていたい、触れていたい、側にいたい。
 お市がそうして眠る顔をじっと観ていると、ずいぶんしてからふいに、膝に乗った頭が喋った。
「市、見るのをやめろ」
驚いてわずかに口を開くと、音がしたのではないかと錯覚するほどはっきりと長政の瞼があがり、双眸がお市を見つめる。
「じろじろと不躾に人を見るものではない。織田の家ではそんなことも教えんのか」
長政は自分の頬に添えられたお市のほっそりとした美しい指を確かめるように手を這わせ、見下ろす黒目がちの瞳をじっと見つめた。
「市」
そして寝起きとはとても思えぬ、常のようにはっきりとした声で名を呼ぶ。長政が怒っているわけではないことがわかっていても、お市はなんだか悲しくなって眉を寄せた。ほんのわずかではあるが、涙腺が緩む。お市が泣くのを好しとしない長政に気づかれればまた怒鳴られる原因になるのだろうとは思うのだが、しかしそれをどうすれば良いのかもわからず、お市は仕方なしに黙り込んだ。
「市、」
 と長政は目をそらさず、ただ催促するように名を繰り返す。繰り返されるそれがふいにおそろしくなって、お市はほろりと涙がこぼれてしまうのを感じた。
「市、泣くな」
「……ごめんなさい…」
 はっと驚いた顔をした長政の顔が困惑に歪む。それがまたさらに悲しく、お市は蚊の鳴くような声でどうにか言葉を絞り出す。しかしとうとう長政の眉間にはっきりとした皺が寄った。
「泣くな。なんだ、わたしが悪いのか?」
「違うの……ごめんなさい、長政さま……ごめんなさい……市は、」
 とうとう顔を背け、ほろりほろりと零れてしまう雫を静かに拭っていると、お市はふと膝の上の重みが消えるのを感じた。顔を上げると、長政が身体を起こし、自分を見つめているのがわかった。ああやはり怒られる、と身構えると、しかしそっと涙に濡れた手を取られた。
「泣かせたいわけではないのだ、市」
 困惑の色を帯びた声と共に、手を握り込まれる。その優しい圧力にあっけなく屈して手を委ねると、腕ごと身体を引き寄せられた。
「おまえを泣かせずにいるにはどうしたらよいのだ」
 困惑した囁きと共に、頭を抱えるように腕のなかへ抱かれ、頭のてっぺんに額が押し付けられるのをお市は感じた。困惑を差し向けられ、それを取り除いてやりたいと思うがうまく表す言葉がみつからない。なぜ自分達はいつもこうして困惑するばかりでしかいられぬのだろう? おそらくは長政も同じことを思っていると思うと、ひたすらにいたたまれなさが襲ってさえくる。
 それでも、ただただ抱きしめてくれる長政の服をぎゅうと指先で縋るようにお市は掴んだが、長政は気づかぬのか「どうすればよい」と繰り返した。

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