さようなら、どうかお元気で
「他に荷物は?」
 机に重心を預けながら鳴海が言えば、詰襟を白い指先で直し、外套の釦を静かに留め、最後に学帽を直した書生は頷いて「ありません」と平静な声で答えた。書生の荷物と言えば、服の他には刀と封魔管、装備品以外には悪魔使役師としての道具ばかりである。書生には探偵業の間に手にした貴重品の類いもあったが、それらは皆ここへ置いて行くという。戻ってくるということだろうかと鳴海は思ったが、書生にそれを訊ねるのは何やら酷なことのように思えて訊ねていない。
 黒尽くめの書生は長い足を軍人の敬礼のように綺麗にそろえてから、色素の薄い瞳を僅かばかり細くする。美しい少年だなと、鳴海は改めてそのように思いながら、未だどこか人形めいたところを残す少年が口を開くのを、じっと待った。
 夕日が沈みかけている。逢魔が時である。なるほどこの少年との別れにはこの頃合いこそ似合いであるかも知れない。視線を落とせば、自分の影が、向かい合った書生の足元まで伸びているのが見える。
「もう行くのか」
「はい」
「珈琲でも最後に飲んでいけば?」
「志乃田への電車が無くなってしまいます」
「なら、もう一泊していけよ」
「駄目です」
 書生ははっきりと答えて、鳴海が口を挟むのを赦さないとでも言いたげに頭を下げた。
 無言で去る気のようだった。思わず口を開きかけて、やめる。
 それからじ、と見つめあったのはたかが数秒であったかも知れない。だが、十分だった。
 書生の静かな足音が床を叩き、階段を登ってゆくのを瞼の下で視る。蝶番をわずかに軋ませて社の扉が閉まっても、まだ瞼を開けるのが怖く思えて鳴海は耳を澄ませた。銀楼閣から出て行く書生の姿を見るのはいつものことであったのに、もうこれきりかも知れぬと思えると、その後ろ姿を見るのがどうしてかおそろしかった。
 自分の影の伸びた先に、もう書生のあの靴は見えない。
 鳴海はそれを認識してからようやく、なにか贈り物でもしてやれれば自分の気も済んだかもしれないと、今さらながらにそのように思った。
*アバドン王はじめたらどうもライちゃんはずっと探偵社で帝都を護っているわけではなかったようですので…という妄想。

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