ごちそうさま
「大学芋――」
 ヴィクトルの口から反芻された名前は、まるで違うもののように聞こえた。
 手術台の上へ差し出された包みを開けたはいいものの、ヴィクトルは明らかにそれが自分と繋がるものだと理解している様子がなかった。
 食べたことがないのか、ああ、このように流暢に日本語を操るとはいえ、彼は異人であるからそれが当然であるのか――ライドウが目を瞬かせる間にそのように納得していると、しかしヴィクトルはヴィクトルで「ああ」と納得げに声をあげた。
「悪いが、我が輩は食事をしないのだよ。必要がない」
「必要がない――?」
「そうだ。半ヴァンパイアとなってからは、腹が減らなくなったのでな。味の感じ方も弱まって――」
 言いながら、白衣の裾をばたばたとふり、ポケットに入れていた薬入れを探し出したヴィクトルは、ライドウに見せるように振ってみせた。鉄でできているらしいその中で、小さな何かがからからと音をたてる。錠剤のようだった。
「とにかく、最低限の栄養素が補えれば生活に支障はないのだ――便利なものだよ、吸血鬼は」
「そうなのか」
「ああ。すまないな、これは――」
 ライドウは包みを閉じようとするヴィクトルの手をそっと止めた。ゴム手袋は温度がなく、悪魔の手に触れたかのように感じられる――半分はそれも事実だが。その手をどけると、ライドウは包み紙の間に差し込まれていた楊枝を抜き、蜜がとろりと艶をつけた芋の一つへと突き立てた。
「だが、食べれるのだろう?」
「――食べれぬというわけではないが」
「なら、大丈夫だ。甘い蜜たっぷりが私の好み――」
「なにが大丈夫だと言うのだ葛葉――我が輩は食べないと、」
 ライドウはヴィクトルの拒絶を無視して、大学芋を差し出した。
「食べてくれ」
「――葛葉」
「口を、」
「何故だ」
 ライドウは小首を傾けた。何故?、と訊ね返しかねない様子だった。ライドウはそのまま不思議そうに、そしてそれが当然のことであると信じきっているかのように続けた。
「食べてほしい、ドクター」
「それはおぬしの都合だろう」
「駄目か」
「押しつけがましい輩は嫌いだ」
「でも、あなたは私を嫌っていない」
 ライドウは表情を変えぬまま、畳みかけるように言い切った。それは自惚れではない。事実であることを知っているから言うのだと、そのような事がその表情から伝わる。
 ヴィクトルは答えられず、そっと目をそらした。瞳が逃げたので、その目の下から頬へ、そして口の端から顎にかけてついた、奇妙な細い傷跡を、ライドウは注視した。何の傷であるのか、ライドウは知らない。
「――駄目だと?」
 しかし、さらに食い下がりながらも、ライドウにはヴィクトルへ楊枝を渡すそぶりなど微塵もなかった。ヴィクトルは大学芋とライドウ、そしてライドウの持つ楊枝をさりげなく交互に見た――思い当たらぬわけではなかった。
「……食べさせたいのか」
「はい」
 ライドウが迷いなく答えれば、ヴィクトルは色素の欠如した瞳を細めた。口元が、苦々しげに歪んだ。
「妙な奴め」
「ゴウトにもよく言われる」
 だが、ゴウトもそのようなことを言っていつも折れるのである。
 平然と言うライドウに、ヴィクトルは眉を寄せた。いかにも気難しげな顔になったが、それでもすこしばかりライドウのほうへと顎を向け、口を開いた。
 歯並びは悪くなく、白い犬歯がすこしばかり尖っている。鋭くないぶん、噛みつかれればじくじくと痛むことだろう。それに細い顎は骨をはっきり透かすようで、とてもなにかに噛み付くさまは考え難い。
ライドウは視線でその線をなぞった後、蜜をたっぷりと絡めた大学芋をその口へ持っていった。ヴィクトルは眉を寄せたまま、運ばれたそれに噛みつくと、ゆっくりと租借した。
「――味は」
「甘い」
 すぐに返ったヴィクトルの返答は、いかにも嫌がっているのが透けて見えるものであった。
 それがあまりにも包み隠さぬものであったので、ライドウは目付け役でさえもわからぬ程度に微笑み、「よかった」と呟いた。
*あーんさせられるヴィクトルがみたかっただけであとは蛇足(白状)

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