密談
「これは、これは……めずらしい客だ」
 金王屋を主人に気づかれぬように通り抜け、地下へ降りてきた黒猫を、業魔殿の主はすぐに気取り、書物から顔をあげた。薄暗い部屋のなか、幽鬼のようにぼんやりと白い姿を暗闇に滲ませながら立ち上がり、仰々しく腰を折る。
「業魔殿へようこそ、業斗童子」
 無意味なほどのその仕草に、黒猫は目を細めた。常人には猫の声にしか聞こえぬ声で文句を言う。
「よせ、仰々しい」
「なにを噛みつくことがある。最低限の礼節だろう?」
 ふふ、とそれを唇で笑って流すと、ヴィクトルは身に纏った白い手術着と同じように色のない髪をかきあげた。そして椅子に腰掛け直し、不機嫌な黒猫が目の前の診察台に乗るのを待つように、異人らしく長い足を無造作に組んでみせた。
 ヴィクトルに誘われるまま、ゴウトはしなやかな体躯を誇るように、難なく診察台へ飛び乗った。数えきれない細かな傷で、その金属の表面は曇っている。黒猫のぼんやりとした影だけが映りこんだ。
 しかしこの業魔殿に主人が腰かけるための椅子があるのはめずらしい。そう思ってよく見れば、なるほど別室からもってきたのだろう、研究室には不似合いの、洒落た飾りが彫ってあった。なるほどここはヴィクトルにとって研究室であり、実験室であり、本来ならば腰を落ち着けて書物を眺める場所ではないのだろう。まるで自分を待っていたようなヴィクトルの様子に、ゴウトは何やらつまらぬと思った。
 ヴィクトルはそれを見透かしたのか、からかうような口を開いた。
「今日は当代と一緒ではないのだな? いくら一介の猫ではないと言っても、一人でここへ来るのは骨だろうに」
「見くびってくれるな。たいしたことではないーーそれに、今日はあれに聞かせたい話ではない」
「ほう!?」
 書物を置いたヴィクトルは身を乗り出すように診察台へ肘をつき、指を組んだ。ゴムの手袋が、ぎゅうと音をたてる。
「十四代目に聞かせられぬ話か。それは興味深い!」
 色素の薄い瞳が、薄やみできらりと光った。ゴウトは猫でなければ溜息をついていたものを、とその様子に呆れながら答えた。
「うるさい。あれだから聞かせられぬ事もある」
「それはますますもって興味深い! お目付け役は、過保護が過ぎるようだ」
「なんとでも言え。俺は、俺のようになってほしくはないのさ。あれには」
「ふむ。そのようなことを言ってよいのか? 歴代が僻むだろう」
「ふん、その程度のことで僻むような殊勝な奴らではないわ」
「はは! なるほど、そうであろうな。なんといってもお主の名を継いだのだから」
 ゴウトが緑の瞳を見開くと、驚いたことを理解したヴィクトルは悪びれることさえせずに「何を驚く? 魂ぐらいはわかるものだ」と笑った。その笑みで、白い歯が零れる。そうして見た半吸血鬼の牙はそれほど鋭いものではなかったが、それでもゴウトはぞわりと毛並みが逆立ちそうになるのを堪えた。
「どうしたのだ、葛葉。用件を言ってみろ」
 ヴィクトルは愉しそうな声で言った。しかしこれまで長きにわたり、そのような大事を黙っていたとはまったくもって忌々しい。ゴウトはその白い、肉の足りぬ顔を睨んでやった。だが睨んだところで猫の視線に怯えるような者が、この業魔殿の主たるわけはない。
*ゴウトとヴィクトルが旧知の知りあいだったりすんのかなーそうだといいよねーという妄想

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