彼岸から
 小十郎と名を呼んだところでいらえはかえらず、政宗は一人、足元さえ危うい暗闇の中でじっと気配を探った。足を動かすと水音があがり、足首まで水にひたっているのがわかった。ばしゃ、と乱暴に踏み出して行けば足場はごろごろと大小の石が転がっており、また、ひどく緩やかではあるが一定の方向へ水が流れているのだということに気づく。河のなかか、と内心で呟きながらももう一度家臣の名を呼ぶ。やはりなにも返ってはこない。だが、目が暗闇に慣れたのか、ぼんやりと周囲の輪郭を捕らえられるようにはなってきていた。
 大きな、金属の触れあう音が遠くで響く。聞き覚えのある音に弾かれるようにそちらに顏を向け、しかしなにも見えないことに歯を噛みながら、ここはどこだと必死に頭を巡らせる。ここはどこだ。俺はいままで何をしていたのだ。唐突に意識が覚醒し、現実と噛み合ない。はがゆさが憎らしく、咆哮のひとつでもあげたいと政宗は思わずにいられない。おれは、ここは、なんだというのか。
 またひとつ大きく、金属の――刃と刃がぶつかりあう懐かしい音がする。手がかりとして唯一のそこへ向かおうとすれば、ぐいと背後から裾を引かれた。
「!」
「殿、」
 そしてひどく冷たい声が自分を呼ぶからか、唐突に気配が現れ、簡単に背後をとられたからなのか、ぞわりと全身を飲み込む怖気があった。それでも政宗は振り返った。
「誰、だ!」
 だがやはりそこには誰もおらず、気配のなごりさえもない。
「…………shit…なんだってんだ」
ごちると、今度は遠くから人を呼ぶ声がする。うまく聴き取れない声に今度は何だと眉をよせてまた歩き出すと、爪先になにかがあたった。石ではない、と思ってかがみ込み、水のなかを探ればそれはたったの一銭だった。ちぎれた跡のある紐を申し訳なさそうにひっかけて、おそらくは数枚を繋いでいたのだろうとわかるもの――そう、たとえば船に乗るために必要な六枚を。
 とたんに脳裏で蘇る炎の槍に、横腹がずきりと痛んだ。そういえば、と思い出したとたんにぼた、と自分の腹から血が落ちて水面を打ったのに気づいて政宗が唇を歪めると、一層強く、誰かが人を呼ぶこえが今度こそはっきりと耳に届く。
 だんな、と悲痛に叫ぶその声に聞き覚えがあり、そちらへ身体を向け直せば一転。
 小十郎が見下ろしていた。
「政宗、さま」と安堵を不安をまぜこぜにしたような小十郎が息をつくのを他人事として瞳に納めながら、政宗は「ああ」と嘆息した。「俺の勝ち、か」
 ゆるゆると左瞼を降ろすとどこかで銭が触れあう音が聞こえるようだった。おかしなことだと思ったが、もしかすればあの場所が彼岸であったのかも知れぬ、と今さらながらに思うとそれも納得がいった。
*2007/12/20 蒼紅一騎打ち後。伊達の勝ち。
ゆめまぼろしのごとく
 初めて織田信長という人物を肉眼に捕らえたとき、なるほど魔王を名乗るだけのことはあると思ったものだった。その背後にぼんやりと付き従うというよりはただただ佇むばかりの薄闇色の陽炎じみた男が、河岸の住人だと思ったからである。武装などしている人じみた出で立ちがあやかしにしては奇妙に映ったが、なにも他のあやかしを知るわけではないので、そういうものなのだろうと勝手に納得さえしていた。であるから男が織田の腹心を名乗って現れたときは心底驚いたものである。
 陽炎であった男は思い出話としてそれを聞くと、どうも機嫌を良くしたらしかった。
「よくもそのように可愛らしいことを思いつかれるものですね」と呆れたというような、けれど楽しげに光秀は言う。馬鹿にされたようで睨めば、「おお恐い」とからかうように笑うばかりだ。
*2007/12/19 リベンジするかも
傷つけたいの
 爪先が傷口をえぐるように差し込まれ、砂埃と共に佐助の血肉を擦った。
 痛覚が悲鳴をあげるのと同時に喉が殺しきれずに呻き声を吐き出して、鼓動の度に血が傷口からどくどくと零れ出しているのが感じられる。毒が混じった忍びの血の、甘みを含んだ匂いに我ながら目眩がした。だが平然とした顏で佐助を見下ろしている竜の鼻先にはまだこの匂いが届かないらしい。憎らしいことだ、と佐助は自嘲のように唇を歪めた。するとそれを見咎めて、政宗が隻眼を細めるのがわかった。月明かりの、しかも逆光だというのにその瞳はよく光って見えた。死を前にして感覚が鋭くなっているのかもしれない。そう思うとそれもまたなんだかおかしくて、唇がくくと震える。
「Hey、なに笑ってやがんだ。俺が笑うならともかく、テメェが笑うのはおかしいだろうがよ」
「あんたが笑う……? は、ほんっと……趣味悪いね、竜の旦那は、さぁ…ッ!」
 勝ち気に答えれば爪先に体重をかけられて、佐助はもう一度呻いた。言葉にならない声が喉をつく。とうとう息を荒げると、政宗は満足そうにニヤリと歯をみせて笑った。
「素直なこった。それでいい。痛ェなら言ってくんねーとわからねぇからな、うっかり殺しちまっても困るだろうが」
ちらと見える犬歯がまさしく喉笛を噛みちぎろうとする犬のもののようで、佐助は背筋が震えるのを隠すように歯を噛んだ。
*2007/12/07

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