Eucharist - 5
「満足かね」
 回想を終えた彼は尋ねた。ため息が混じった声音であった。
 懐かしむように本の表紙をなぞる彼の指先は、相変わらずゴム手袋に覆われて色が見えない。きっと青白い顔と同じように白く静脈がうっすらと浮かんでいるのがみえるだろうと思わせるが、実際のところを知るものはおそらく本人だけだろう。
 それこそ今、彼が話して聞かせた物語と同じように。
『——思っていたよりも長生きだな』
「ははは! おぬしほどではないだろうがな。この我が輩の肉体は、日に日に死へと近づいている」
『不老不死であろう?』
「そうだ。しかしまだ完全ではない。ここ二、三十年の間にすこしばかり老ける程度ではあるがな。半分程度では、永劫続く命ではなないのだろう。我が輩自身、正確なところは知らん」
『曖昧だな』
 無言で見つめるライドウを、ヴィクトルは不快そうに見返した。
「憐れみはやめろ、葛葉」
「——そうではない」
「では何だ」
「いや——話をしてくれて、ありがとう」
「たいしたことでは……」
 ふいに、からかうような声音になった。しかし冗談ではなく、期待が透ける声である。
「それともなにか、血でもくれるのかね」
 じゅる、と舌なめずりの音がした。
 そういえば以前にも求められたなとライドウが思い出すには十分なほど、ヴィクトルの目がぎらりと光る。
 冗談めいているが、それが本気であることは明らかである。二人の足下で黒猫が呆れ声をあげた。
『なんというじじいだ』
「業斗童子に言われるほどの歳ではない」
『むむ』
「それで、どうなのだ。くれるのか、葛葉。この我が輩にライドウの、お主の血をくれはせんのか?」
「——飲食目的であると、認めるならば」
「む」
『やめろ。お前が許しても、血を売るような真似は、この俺が許さんぞ』
「——ではゴウトの許可が降りればにしよう」
「むむ」
『では、なしだな』
「——だ、そうだが」
「葛葉、おぬし——」
「どうかしたか、ドクター」
「……良い。ナタクを譲ってくれたことに免じてやろう」
「ありがとう」
「だから、大した話でもない。どうせほとんど、忘れかけていたようなものだ」
「……そうでもない」
「そうか?」
『まぁ、俺にとってもおもしろい話ではあったさ』
 足下の猫と目をあわせる書生を、まったく奇妙そうに見たヴィクトルは眉根を寄せた。
「わからん奴らめ」
「あなたほどでは」
『ではな、ヴィクトル』
「……お主らが悪魔の力を欲するというのなら、いつでも歓迎しよう」
 ヴィクトルはいつも通りにうやうやしく腰を折った。そうしてまるで嘘のようにいつもの口上を言うので、足下のゴウトを抱き上げて、ライドウは唇にはっきりと笑みをのせた。



*2010/12/29発行。

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