狐その尾を濡らす
 軽石を叩くような音がして木の上を仰げば朱塗りの高下駄が2つ。山伏がそこには立っていた。元より佐助より頭2つぶんは背の高い男だが、高下駄のおかげで、落ちる影はさらに伸びている。
「才蔵」と古馴染みの姿に佐助は口をぽかんと間抜けに開き、目をぱちくりとさせた。しかし才蔵は口を結んだままなにも言わず、ただただ落雷で折れた樹の上に腰など下ろしている九尾のことを見下ろしているばかりで何の反応も返さない。顏の上半分は仮面で隠れているので表情を読みとることは佐助にも難しかったが、しかし口元が渋柿を食った時のように歪んでいるので気にくわないと思っているのだろうとあたりをつける。
しかし佐助が口を閉じ、開き直すよりも先に「里に帰る気になったのか?」と、才蔵は問うた。静かな、しかしいらだちの残る声がいきなり発せられたことで佐助はいささか面食らった。
「え、あ、ううん。ただ、やっぱりこの山の柿が一番美味いから」
 傍らに置いた籠を指差して答える。もうすでに必要な分だけ柿はとってある。柿の色だな、と己の髪をやさしく触った主人の言葉に誘われるようにやってきたのである。主人の屋敷で出てくる柿もまずくはないのだが、佐助は秘かに、この山の柿を食わせたいと毎年思っていたのだ。そして尾の揃った今年こそは、と思い立ち山まで足を運んだ。
 返事をしながら、「おまえの髪はまこと奇麗だ」と嬉しげにする主人のほがらかな笑顔を思い出して微笑んだ佐助を蔑むように、才蔵は一本歯の高下駄のまま器用に枝から飛び降り、ふんと鼻を鳴らした。「おまえ、もう尾は裂けたんだろう?」
「そうそう、ご覧あれ!」 と言われて佐助は自分が獣の印を隠していることを思い出して、ぽんと手を打った。とたんに人の姿のままではあるが、立派な尻尾が九本と、獣の大きな耳が顕現する。「ああ肩こった」と呟きながら首を回せば、人の耳はすっかり狐の耳に変わりきり、ふさふさと色つやのよい毛並みがあわてて空気を感じるようにふるりと微かに震えた。
「立派なことだな」
「でしょでしょ。はーちょっとすっきりしたァ。今まで増えても自慢できなくてつまんなかったんだよね。ま、でも啖呵切って出てきた身だから揃うまで山来るのも癪じゃない。あ、ていうかお前とも七年ぶりってことか。ああ、なんかそれ考えると懐かしいってもんだね、あはは俺様感覚まで人間じみてきたかも」
 佐助はぺらぺらと思いつくままに口を動かし、才蔵のほうへと身体を寄せる。元々お喋りなたちなのだ。才蔵の返答など期待もしていない。身動きをする度に尻尾がふわふわと揺れて、それを隠さずにいられることの開放感を久しぶりに思い出して気分が良くなっていることもある。しかし佐助がじりと寄れば、才蔵は一歩半、佐助から身を引いた。
「あまり寄るな。おまえ、人臭い」 あからさまな拒絶で才蔵は佐助を見返した。仮面の下であろうが、やはり不快なのだろうことはひしひしと伝わってくる。
「そりゃ、ケモノ臭くても俺様屋敷で困っちまうでしょうが」
でも露骨に避けるって失礼ね、と冗談めかして言えば才蔵はやはりふんと鼻を鳴らすだけだった。
「困ることがあるか。さっさと戻ってくればいいだけの話だろう。早く帰れ。里の爺たちが心労で逝く前に」
「うーん、そうは言っても俺様――」
 佐助は唇に人差し指をたてて「しぃっ」と小さく言うなり、耳をそばだてた。ふさふさとした金の毛一本の先まで神経をとがらせているのか、目が細くなる。天狗もそれにならってみると、遠くで「さすけぇ」と呼ぶ声があった。それを聴き取って思わず微笑んだ佐助を天狗は笑い、「間抜けな奴だな。捕われたか」と言った。冷たいばかりではなく、哀れむような色が潜んでいる。その声音に佐助は自分の鼓動がひときわ大きく跳ねたように思った。それでわざと二の句は聞こえなかったふりをする。
「間抜けってお前ね」
しかし言い返したところで天狗はもはや影さえもない。「――大きなお世話!」
 佐助はすぐに屋敷の主人に向けて「はぁい」と声をはりあげると、あわてて背籠を背負い、人のものではない足のバネをつかってぴょんと跳んだ。そうして人では到底叶わぬ速さで山を駆け、まるで遠出などしていないといった顏で屋敷へ戻るころには、耳も尻尾もすっかり隠してしまった。

*「狐疑逡巡」の続編というか、おんなじ設定。調子にのって天狗まで出てきたわけですが…えーと拙宅の才蔵さんを初めて出すことになるのがまさかパラレルだとは…すみません…。
そして狐の尾が生えるんでなくて分かれるんだということを思い出して前回共々書き直しました。

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