Eucharist - 3
 真相はともあれ、ヴィクトルに会うには、業魔殿へ出向く必要があった。半吸血鬼であると自称する彼は、日中はもとより、日が落ちてさえもほとんど外出しないためである。彼は業魔殿の中で、ただ悪魔召喚師たちを歓迎し、悪魔を生み出し、自らの永遠の専門分野である不死を解き明かそうとしているのだ。
 業魔殿は筑土町の一角、すこしばかり特殊な道具屋を営む金王屋の地下にある。奥の階段を下り、応接間から密かに設けられた入り口を抜けて、本来の業魔殿までさらに降りなければならない。よくも家主にばれぬものだと思わずにはいられぬほど、それは地下深い場所である。昇降機で、延々と地下を降りねばならぬような地下なのだ。
 大げさな音を立てて最下まで到着した昇降機の柵を押し開き、ぽつりと蝋燭の灯る石の床を歩く。そうして見える扉を押し開くことで、ようやくたどり着けるのである。
 扉を開くには悪魔か、それに近しい者でなければできぬ仕組みだが、そもそもここへ常人が紛れ込む可能性のほうが少ないだろう。言動にそんなそぶりはろくに見えぬのだが、そうした部分からはヴィクトルの妙な用心深さが伺えるようである。

「業魔殿へようこそ——おや、葛葉かね」
 出迎えるのは、いつ訪れても変わらぬ、この業魔殿の主人たるヴィクトル・フォン・フランケンシュタインその人である。
 白く色の抜けた銀髪に、薄く色の抜けた青い瞳が目をひく。肌も青白く、全体的に色のない印象を受けるが、それにしては目の下に走る奇妙な手術痕ばかりが強く色づいていて、いやに目立った。鷲鼻の下の、日本人とは異なる大きな口へと笑みをのせ、うやうやしく腰を折る様子には、育ちの良さが滲むようであった。
 異国人らしい長身を白衣に包み、ゴム長を履いた大きな足は診察台の向こうであまり目立たないが、なにかを掴もうとするがごとくうずうずしているゴム手袋ばかりは、きゅうと音をたててヴィクトルの感情を主張している。
「ふむ。ナタクを連れてきてくれたのか」
 薄青色の目玉が、目敏くライドウの胸元を見た。
 外套の下、白革のホルダーに納められた管のうち一本には確かにナタクが封魔されている。ヴィクトルの目の下に走る手術痕がどのような経緯のものかは誰も知らないが、まるでその封印さえも見透かしたようである。
「ああ——」
「では早速!」
「ヴィクトル、」
 くるりと背を向けて支度へ取り掛かろうとするので、ライドウは水を差すように静かな声を挟んだ。
 興奮を隠せない様子をぱたりとやめて、ヴィクトルは振り返る。気分を害したと言わんばかりの目つきであった。
「……何だ」
「——聞きたいことがある。怪物の話だ」
「何の話かわからんぞ、葛葉」
「あなたの話を——」
 言って、本を取り出した。仲魔に読ませることで内容は既に頭に入っていた。それは怪物を創造し、その罪深さに怯え、逃げ惑い、周囲を巻き込みながら死んでいった男の物語だ。ヴィクトル・フランケンシュタインという一人の青年の、死に至るまでの。
 ヴィクトルのほうもその表紙に見覚えがあるようで、眉間に寄った皺がわずかに和らぐ。興奮はすっかり冷めたようで、暗く落ちた声で尋ねた。
「ふむ。お主がこれを持ってくるとは驚きだな」
「以前、言っていたのは、このことか?」
「以前、とは?」
「——“殺さない。メアリーもそう言った”——と」
「言ったかね」
「言った——以前にあなたの、吸血鬼の葬り方を教えてもらった時だ」
 それはライドウがその名を継ぎ、帝都へ来てまだ日も浅い頃、不死の眷属たるアルカードを退治せねばならなかった時の話だ。その一件で彼が悪魔の血を貰い受け、半吸血鬼となったことが知れた出来事でもある。
「そうか。よく覚えていたな」
「それで——」
「否定することならば、我が輩はこのようには死ななかったということだな。たしかに、彼女は我が輩をこの物語の中で殺した」
 ヴィクトルは差し出された本を受け取り、表紙をめくり、見返しを撫で、開き、著者の名前を撫でた。
「ほとんど……どれほどが真実のことであったのか、我が輩自身にもあまり思い出せぬような話だ——だが、そうだな。いつだか彼女に話したのは覚えている。熱に浮かされた彼女の意識に、残るとは思わなかったが。ずいぶんと昔の話だ。若く聡明な女性であったよ、メアリー・シェリーは。……本当に小説にするとは思いもよらなかった」
 目を細めるその脳裏には、思い出が甦っているのだろう。ライドウはそう思い、口を挟まなかった。
「彼女に会ったのは我が輩から北極の記憶も薄れつつある頃のことだ。ああ、それこそ、当時は医者になって生計を立てていたのだ。なに、そうでもしなければ魔導の探求も続かぬのでな」
『では、これはおまえが吸血鬼になる前の話なのだな』
「そうだ。その小説にはそんなものは影もなかっただろう? 我が輩さえ、彼女に会った頃は悪魔の存在についてなど、半信半疑であったのだからな」
 ほとんど肘まで覆うほどに長いゴム手袋の下を気遣うように掴む。その仕草は意図ないもので、単なる記憶の再現らしかった。
 瞼が少し降ろされ、俯く面差しへと薄く影が落ちる。
『どのようにしてそうなったのだ。延命のためか?』
「……興味があるのかね。業斗童子よ。魂だけのお主には、肉体の儚さがわからんか?」
『お主よりは知っておる。だから興味があると言うのだ』
「なるほど、それもそうであったな」
「——聞かせてはくれないのか」
「お主まで興味を持つのか?」
 ライドウが口を挟んだことに、ヴィクトルは瞬いて驚きを表した。その驚きを不思議がりながらも、ライドウは足下のゴウトを見て、
「ゴウトが、聞きたいと願うなら——」と答えた。
「すべてが創作だとは思わんのか?」
「あなたがそうだと言わぬ限りは——悪魔の存在よりは、奇妙な話でもない」
 ヴィクトルは黙り込んだ。
「食い下がるのだな」
「知りたいだけだ」
「何を?」
「なぜ、あなたが生きながらえようと思ったのか」
 ライドウは言葉を区切り、尋ねた。
「——その身体でなければならなかったのか?」
 ヴィクトルは考えもしなかったと言いたげな顔をしたが、すぐに笑い出した。
「教えてやっても構わんが、大して面白い話ではない。文句を言うなよ。なに、我が輩はお主らのように魔導に通じていないというだけの話だ。まぁ、ナタクの代金代わりにはなるだろうがな」
/ →4

<<return.