赤犬が狐追う
「旦那、なァにこんなところで寝てるの」
 日差しと落ち葉の思いがけない温もりが心地よく、寝転んで雲を数えていたはずがそのまま寝入ってしまったようであった。影が落ちたことに気づいて目を開けると、佐助が自分の顏を覗き込んでいた。
 弁丸はじと自分を見下ろす2つの目を同じようにじっと見つめ返した。ただただ強い視線にも佐助は微塵も動じず、「なんでしょう?」と嫌に丁寧な調子で返してくる。そうしながらもなにも言わずに弁丸が腕を伸ばすと、当然のようにその腕を掴みとり、弁丸が起きるのを支えた。それがおもしろくなく、「これはお前の真似だぞ、佐助」と言えば、佐助は主なりの奇妙な言い訳に過ぎないと思ったらしく大仰に溜め息をつくだけだった。
「あーあー、こんな葉っぱだらけになっちゃって」
 弁丸は相手にされていないことを読みとってむむ、と皺のないつるりとした眉間に皺をよせた。なにも、言い訳ではないのである。記憶のなかで、落ち葉に埋もれていたのはもっと幼い面影のあった佐助のほうであった。弁丸はただなんとなしにそれを思い出して真似てみただけであるのに、何故渋面を向けられねばならないのかがわからない。また、佐助がわからぬといった態度を取るのも気に食わぬのであった。
 あれは秋の頃だった。弁丸は降り積もる紅葉のなかで、佐助を見つけた。見つけたとはいえ、そこで眠っていたのではない佐助は弁丸に気付くとすぐに慌てて姿を消してしまったのだが、どの紅葉とも違う赤い髪色が瞳へ焼き付いた瞬間から、佐助は確かに弁丸のものだった。佐助が正式に弁丸の忍びになったのはそれから幾日も過ぎてからであったが、弁丸は初めて目にした赤髪の忍びの姿に「ああ、あれは俺のものだ」と思った瞬間のことを忘れられない。
 しかしあの瞬間の邂逅を佐助は忘れてしまったのかもしれぬ、と改めて思わせられると、弁丸はもやもやとしたものが胸の奥でわだかまるようだった。
「佐助」
「なぁに」
 少し語気を荒げて名を呼んだところで、佐助は飄々とした体を崩さない。弁丸の表情など気づかぬらしく、佐助は着物の裾から弁丸の頭まで叩くようにして葉っぱをとるだけなのである。そこで先程のようにまた強い視線を向けたところで佐助は物怖じした様子などなく、それどころかぱんぱんと弁丸の着物の裾を叩き終えて、満足げに笑うのであった。
「どうかしたの、旦那?」
佐助が時折脈略もなくみせる、暗いところのない笑みである。「忘れたのか」と責めようとしたところでそのように笑われては、責めることが子供じみて思えてできず、弁丸は仕方なしに文句を喉の奥へと押しやった。
 しかしそうしたところで納まりがつかずにうう、と呻くように思いきり顏をしかめると、佐助はその眉間を指の腹でやさしく押してきた。
「なにをむくれてるっての?」
「うるさい。帰るぞ」
 言葉を探すのを放棄した弁丸に、佐助は器用に片眉だけをはねあげたが、すぐに大袈裟に肩をすくめて答えた。
「……はいはい。願ったり叶ったりですよっと」そして弁丸のまだ小さな手――そう、佐助は出会った時から変わらぬようでいてすくすくと育っていて、弁丸と大差がなかったはずの掌は弁丸より二周りは違う――を攫って、ぎゅうと優しく握った。そのくせ言葉は優しくなく、からかうような軽い調子ではあるのだが、しっかりと弁丸を責める。
「元々あんたを探しにきたんだから――まったく、もうすぐ元服って歳のくせに。いつまでこうも落ち着きがないつもりなの、旦那は」
すぐこれだ!と佐助の少し冷たい指をなぞりながら、弁丸は足元に視線を落とした。些細なお小言を言うのは佐助の役割である。もちろんそれらは正論であるのでなかなか歯向かうこともできぬのが歯痒いところである。
「ならば佐助こそ、いつまで俺を童扱いするのだ」
「さて、いつまででしょうかね。あんたを大人だと思う日が来るなんて想像つかないや」
だいたい、弁丸が負けじと言い返したところで、このように容赦はないのである。
「何だと、」
 とうとう煽られるがまま噛み付くように名を呼ぼうと弁丸が口を開けば、ひゅうと木枯らしが吹いた。
 ふと胸の奥をさらうように吹き抜けて行ったその風に誘われるように、弁丸は背後を振り返った。風の向こうにはなにもなく、ただ、自分の隣に並ぶ影には尾が九つ見えただけであった。しかしそれも瞬きをすればすぐに消えてしまう。
 佐助には尾というものがあっただろうか、と一拍置いて佐助の尻を見るがもちろんそのようなものがあろうはずもない。弁丸は頭の奥からなにかが出て来ようとしているのを感じた。だが先程胸に去来したもののように、それはもやもやとするばかりで形を成さない。ええいなんなのだ、と癇癪を起こしそうにもなるというものである。
 当然、足を止めてしまった主を訝しみ、佐助が一言尋ねてくるので、おまえのせいでもやもやとするのだ、と弁丸は口にしようとした。しかし不思議なことに顏をあげたとたんになぜか言葉が詰まってしまい、慌ててなんでもないとすぐに答えるだけが精一杯となった。途方に暮れて弁丸はひとまず、不思議そうな顏をした忍びの手を握りなおした。

*「狐疑逡巡」、「狐その尾を濡らす」の続き。

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